元上場企業不動産開発マンのブログ

不動産業界 特に開発系のことについて、自分へのメモ、就活、投資に参考になればと思い、思うが儘に綴ります。

デベロッパーの事業多角化③【第7稿】

こんにちは。

 

本稿もデベロッパーの事業の多角化について書いていきたいと思います。

テーマは「既存物件のリノベーション事業」です。

当事業は、「老朽化により、収益性が下がった物件に改装工事などの手を加え、収益性を上げて売却益を得る事業」です。

 

リフォームとリノベーションは何が違うか、という議論がありますが、

リフォーム⇒ 自宅の壊れている部分を改装し、住みやすくする工事

リノベーション⇒ 場合によっては間取りまで変えて、資産価値を高めるための大規模工事

といったニュアンスの違いであって、あまり必要のない議論かと思っています。

 

 

さて、リノベーションという言葉は、不動産仲介業者とリフォーム工事業者がタッグを組んで「中古物件買って、リノベーションしませんか」と営業していくケースが多いと思います。

一方、デベロッパーは、中古物件(分譲マンションの1室)を買って、工事を行い、売却益で利益を取ります。投資額は5千万円/件くらいですので、50億円の投資をするとしても、100件集める必要があります。マンション開発事業などは、5人チームくらいで50億円ほどのプロジェクトを動かしますので、件数多くて忙しい割にあまりおいしくない仕事。。という感じです。

 

また、5000万円くらいあれば中古分譲マンションのリノベーション転売事業はできるので、独立起業して少数でやっている業者さんは参入しやすい業界です。

 

 

と、いうことで、この事業に関しては、簡単に参入できるし、デベロッパーの資金力も生かせないし、大きく稼げないのもあり、個人的にはあまり面白くないので、つらつら書くのはやめようと思います。

 

しいて言っておくとすれば、こうゆう小さい事業をコツコツやっていくことが、民泊ビジネスのデータ収集につながったり、1棟リノベーション事業につながったりするので、そこへの期待含めての事業展開かと。

 

では今日はこのあたりで終わります。

 

デベロッパーの事業多角化②【第6稿】

こんにちは。

 

今回も、不動産デベロッパーの事業の多角化について書きたいと思います。

 

テーマは、「賃貸用木造、鉄骨造アパート事業」です。

アパート事業も、木造戸建て事業と同じく、「建築期間が短く、景気変動リスクが小さい」という利点があるので、多角化の一つとして着目されました。

概ね事業規模は1K*8戸~1LDK*24戸とかが多いのではないでしょうか。

あまり大きすぎると、建築期間が長くなり、利点が生かしきれなくなります。

 

事業自体は簡単です。

⑴土地を買う。建築計画を作る

⑵建築工事着工。

⑶完成数か月前から「新築賃貸物件」として、借りる人を探す。

⑷収益投資物件として、投資家に売却する。

 

計画通りに投資家に売れない場合は、会社の決算とも相談ですが、保有し続けるケースもあります。

保有し続けて半年くらい収益の実績が出ると、投資家にも売りやすくなりますから、逆に焦る必要はないです。

 

1億円~2億円くらいの物件をターゲットにする会社が多いイメージがあります。

 

この事業は、莫大な利益を創出し続けるものではないのですが、

賃貸相場がある程度決まっていて、収益物件の相場も決まっているため、

コツコツ確実に利益が出せます。

 

 

少しアパート業界の会社を知っている方などは、「なんだ、レオパレスとかと同じ業態か。」と思われる方もいらっしゃると思いますが、

レオパレス⇒ 当初の地主が土地を保有したまま、アパート建築の工事を請け負う。

・デベ⇒ デベロッパーが土地を買い、アパートをゼネコンに外注して作り、売却する。

という点で、異なる業態になります。

 

 

各アパート建築会社が地主に過度な営業をかけ、相続税対策でアパートを建てすぎたことが社会問題になっていますが、その件はまた改めて書きたいと思っていますが、

デベロッパーのアパート事業「売れなければ自社保有してもいい」「住民が入らなければ、自分たちの首が締まる」ので、アパート建築営業会社のような無責任なアパート建築はしない事業構造となっています。

その点で、社会にとって、必要とされている賃貸物件を作っていくことを期待していますし、そうあるべき事業だと思っています。

 

 

本日はここまでです。

 

デベロッパーの事業多角化①【第5稿】

こんにちは。

 

本日は元マンション専業デベロッパーの事業の多角化について書きたいと思います。

 

木造戸建て・宅地開発事業

  宅地開発事業とは、広大な土地を区画割し、一区画ずつ販売していくという、不動産開発の基本的な事業モデルです。ユーモアのある女性社長がホテル展開するアパホテルも、創業時期は宅地開発を行うところから始めています。

土地だけを売ることを「土地売り」。

そこに建物を建てて売ることを「建売販売」。

土地を売ってから注文住宅を受注するのが「売建販売」と呼びます。

 

 地場産業の中小企業でも数区画の土地売り事業はやっています。

例)500㎡の土地を5000万円で買って、1000万円で区画割して、1500万円/区画で売る。

 原価:500010006000万円

売上:1500*57500万円

利益:1500万円

ここから、営業費用、銀行への金利司法書士土地家屋調査士、売買の印紙代、仲介手数料…etcありますが、ケースによるのでここでは割愛します。

事業用地を担保に入れれば5000万円くらいは銀行から事業融資受けられますし、経験者であればこのくらいの事業規模のものは1人で管理できますので、不動産業者としては展開しやすいものだと思います。不動産開発で起業を目指す方は、まずここまで辿り着くのがステップになるのではないでしょうか。

 

 一方、元マンションデベロッパーは10億円~100億円の事業融資を受けて事業をやってきている実績がありますので、事業規模が大きなものに注力しています。また、最近のデベロッパーは「建売販売」が主力です。

例)10,000㎡の土地を10億円で買って、道路工事と区画割工事をし、1500万円/戸で建物を建てる。マンション販売部隊の営業力を武器に販売していく。

  ⇒ 10,000㎡のうち、道路面積が2,000㎡だとした場合、100*80区画となります。

    原価:10億円(土地)+ 2億(造成)+ 1500万円*80戸)(建物)=24億円

    売上:4,000万円(土地+建物)*80戸=32億円

    利益:8億円

同様にここから、営業費(広告、人件費含む)など経費がかかります。

 

 

以上のように、デベロッパーの宅地分譲事業は、事業スケールが大きいことが特徴です。地元の中小企業ができないような大型開発ができることが、地域への貢献にもなり、働き手としても面白みがある事業です。

また、大規模事業となると「街並みの創出」ということが可能になりますので、それが「付加価値」となり、住宅相場の中でも高額で販売することができます。

特に、デベロッパー戸建ての草分け的存在の野村不動産プラウドシリーズ」、三井不動産「ファインコートシリーズ」は高級建売戸建として、確固たるブランドを持っています。

 

 

次に、マンションデベロッパーが宅地開発事業を展開するメリットについてです。

結論から申し上げると、マンション事業と比較して資金回収が早い。ということが挙げられます。マンション事業は約3年続く工事が終わるまで資金回収はできません。

宅地開発事業は、建物を建てて売る計画を立てていても、資金回収が必要になったときは土地だけで販売すればいい。という舵切りが可能です。

 

こういった理由から、力(資金力、営業力、信用)を持った元マンションデベロッパーが宅地開発・木造戸建て事業展開に注力してきました。その中、従来の木造住宅メーカーの飯田産業6社が統合したことが大きな話題となりました。

 

 

 今後のデベロッパーの戸建て事業マーケットの展望ですが、実は厳しくなってくると思っています。

理由は下記のとおりです。

野村、三井不動産の戸建てのブランドが強すぎる。

飯田産業グループの建売が安すぎる。

木造建築も、建築費が少しずつ上昇して、販売価格が上がって売れなくなってきている。

新規参入業者が多く、土地の買収競争が激しい。

 

一つずつ説明していきます。

⑴について

野村、三井不動産と、他新規参入デベロッパーも事業スキームは同じです。

なので、利益を削らない限り、理屈上同等価格になります。なのに、ブランド価値があるため野村、三井不動産の戸建てにお客さんを取られるという壁があります。特に、中央線沿線などの人気エリアはこの傾向が強いです。

 

⑵について

飯田産業は自社施工なので、建築費が安く抑えられます。

ただし、デベロッパーの戸建てに対しては廉価な建物であることは間違いないのですが、一般のサラリーマン家庭には全く問題ありません。価格競争という話になれば、飯田産業グループの圧勝です。

 

⑶について

鉄筋コンクリートのマンションの建築費が高騰しているという話はすでにしていますが、木造戸建ての建築費も徐々に値上がりの傾向が続いており、販売価格も上げざるを得ません。①の話のように、高給取りを相手にセールスするのであれば、競合は野村、三井不動産なので、大変厳しいものになります。

 

⑷について

書いている通り、大規模な戸建事業用地は買収競争が激しいものです。

事業スキームが同じなので仕方ないですね。

 

 

ネガティブなことを書きましたが、事業展開については企業努力により左右されますし、木造戸建て事業から派生した新規事業への転換は大いにあり得ると考えています。各社、どのような展開していくのか楽しみです。

 

今後も多角化について書いていきます。今日は終わり。

 

リーマンショックの次の試練 不動産開発業界【第4稿】

こんにちは。

 

マンション専業デベロッパーはリーマンショックを機に事業の多角化をしてきたわけですが、その多角化について書いていく前に、もう一つのマーケットのトレンドを書いていこうと思います。

 

それは、「建築費の上昇」です。

特に就活生などにありがちですが、「デベロッパーとゼネコンの違い」というのが分かりにくいようですので一応説明しておきます。

デベロッパーは土地を買い(借りるケースもある)、建てる建物(住宅orオフィスor商業)を決めます。そのあとの、建築設計~建築工事は外部委託します。設計は設計事務所、工事はゼネコン。といったところです。小さい建築だと、ゼネコンが設計したりするケースもあります。このように完全に役割分担して、開発事業は進みます。

ただ、時としてゼネコンがデベロッパー的機能も兼ね備えることもあります。

 

 

さて、以上の前提で話を進めます。

ゼネコンや設計事務所は、「建築設計・工事を取ってこないと仕事がない」ということですので、デベロッパーに出向いては仕事をいただき、デベロッパーに対して接待をし、どうしても仕事が取れない時は会社に利益が残らなくても安く工事を請け負ったりしていました。

つまり、100の工事を100のゼネコンで奪い合うので、安請負が続いていたという認識で大丈夫です。

 

 

その状況が一気に覆る出来事がありました。

2011年3月11日東日本大震災です。

東北の復興工事が急務となり、国、県などあらゆるところからゼネコンに声がかかりました。当然、ゼネコンは「社会的責任感」と「お金」のために東北の工事を請けます。

「もうマンションデベロッパーの工事なんて、安請負しないよ」という感じですね。

そして、東北の工事で生コンクリートや鉄骨鉄筋、H鋼、銅(電線に使う)などの需要が高まり、材料代も上がり、建築職人も引っ張りだこで、人件費も上がっていきました。大きいゼネコンほど、採用数を増やし、万全の準備をしています。

引用:http://suik.jp/report?code=A000000077

 

 

さらに、追い打ちをかけるように東京五輪の開催が決定しました。五輪開催に向け、目に見えるだけでも、スタジアムの工事、選手村、ホテル増加、インフラ工事、いろいろな工事が活況になり、建築費の上昇は加速しました。200の工事を100のゼネコンで分け合っているわけです。

どのくらい上がったか、というと、3LDK(70㎡)×100戸のマンションを作る場合の見積もりを例にしてみますと、

・2006年のマンション工事:12億円(約1200万円/戸)

・2015年のマンション工事:21億円(約2100万円/戸)

のような違いです。外壁やキッチンなどのスペック、ゼネコンの状況(1件/年はマンション工事を請けたいなど)、お付き合いの状況などにより、100万円単位で上下しますので、一概にはいえないですが、以上のような衝撃的な建築費上昇が起きました。

 

もちろん、ゼネコンは売り上げが上がり、好循環なのですが、デベロッパーのマンション事業に関しては『従来の価格で工事を請けてくれるゼネコンがいない』わけですので、事実上いままでのビジネスモデルは崩壊しました。

 

不幸中の幸い、生き残りのデベロッパーは預金残高を伸ばし、事業の多角化に向かっているので、より新規事業への期待が高まる機運となりました。

 

以上がここ10年間くらいのマーケットトレンドです。

このマーケットトレンドは建築・不動産業界に限った話ではないので、参考になればと思います。

 

本日は以上とします。

 

リーマンショックへ経て変わった不動産業界【第3稿】

こんにちは。

 

今回は、2008年のリーマンショックを機に、不動産業界がどのように変わっていったのかテーマに書きたいと思います。

 

リーマンショックとは何か、を簡単に書くと、

「リーマンブラザーズというアメリカの投資銀行が、米サラリーマンに住宅ローンを無理にお金を貸しすぎて、回収できなくなって破綻した。その影響でアメリカの経済が止まり、日本にも影響がでた」というものです。

株価は下がり、土地の価値も下がりました。

「土地の価値」は買いたい人が多ければ高くなり、少なければ下がります。経済状態が悪いと、みんな警戒して積極的にお金を使わなくなるので、買いたい人は減ります。

 

不動産開発真っただ中のマンション専業デベロッパー(マンデベ)は、工事代、銀行借入、従業員給料は払わなければいけない。しかし、売れない。という状況になるわけですから、財閥系不動産会社を除くデベロッパーの多くは破綻しました。ですので、今残っているデベロッパーは生き残りです。

 

無論、リーマンショックの件では、不動産業界のみならず、どの業界も打撃を受けました。が、マンデベについて取り上げて書く理由があります。

既に書いている通り、マンデベの業態はとにかく「土地を買って、マンション作って、売る」というビジネスモデルです。マンション建設は、土地を買ってから約3年はかかります。つまり、3年間売り上げが入って来ません。景気が悪くなったから、途中で早く売って現金回収する、ということができません。建設を止めることも当然できません。このビジネスモデルの弱点が如実に表れてしまったのがリーマンショックです。

 

生き残りマンデベは、次の経済ショックに備え、下記のような経営方針を立てました。

①現金預金を多く残しておくこと

②財務バランスを良くすること

③事業を多角化し、リスク分散すること

 

3点とも割と当たり前なことなんですが、特に③については、マンション開発のみで育ってきた企業にとっては大きな変化でした。

 

多角化」はおおむね下記の通りです。

・木造一戸建て開発事業(建設開始から5か月後には売れるので資金回収が早い)

・木造アパート開発事業(同じく、マンションに対して建設期間が短い)

・建設済の収益物件の保有・売買(建設期間がないので、すぐ売れるし、持っていればお金が入ってくる)

・リノベーション事業(既存建築のリノベーションなので、工事期間、費用も小さいがコツコツと。利益も少ないがリスクも少ない)

・不動産ファンドを設立、運営事業(少し複雑なので詳細はまた今度)

PFI事業(行政との共同事業なので、景気に関係なく売り上げが保証される)

 

ここで言いたいのは、「マンション専業デベロッパー」は2008年を機にほぼ存在しなくなり、生き残りの「元マンション専業デベロッパー」は「総合デベロッパー」として生きていくことを余儀なくされた、ということです。

 

各々の事業について、現在はどのようになっているのか、今後一個ずつ書いていければいいと思っています。

 

長くなりすぎるので、本稿はここまで。

 

不動産業界を取り巻く環境【第2稿】

こんにちは。

 

前回の記事で、

「住宅系デベロッパー業界は一生懸命土地を探して開発して、一生懸命売っているだけではダメな時代になった」と書きました。

 

戦後~1990年初めまでは、いわゆるバブルでしたので、

不動産を買って、転売をするだけで利益が出た時代もありました。

その間に資産を構築した財閥の不動産部門が現在の財閥系不動産会社ですね。

その話は省きます。

 

1990年以降、マンション専業デベロッパー(マンデベ)が多く、各社順調に売り上げ・利益を出していました。

大京コスモスイニシア(旧リクルートコスモス)を皮切りに、

大京出身の人や、コスモス出身者などが次々とマンデベを作っていきました。

ビジネスモデルが単純明解で、大きなミスをしなければ儲かったからです。

ビジネスモデルは、「10億円で土地を買い、10億円でマンションを建て、30億円で売る。」といったところです。

もちろん、何十億円もの借入を起こす必要があり、経営者は連帯保証に入ったりしますので、資金回収までの経営者の精神的ストレスは想像に難しくありません。本当に尊敬します。

当事業で重要なことは、

⑴良い土地を安く仕入れて、良い商品を企画する。

⑵気合と根性と人間味で、より高く(適正な価格で)販売する。

とにかく、この2点が強ければ儲かる業界だったので、

大京の、買うまでお客さんを帰らせない、鬼のような販売力(今は変わりましたけど)」

リクルート系の販売目標達成への執念」を引き継いだ会社が目立って活躍していました。

社内では、「土地買収の仕入れマンvs販売の営業マン、どちらが偉いか。」という話題が勃発するくらい、その2点が重要です。

そうして、優秀な仕入れマンと、営業マンを抱えて、マンションデベロッパーは各社大きくなっていきました。

 

 

2008年に業界を襲う大事件が起きました。

ご存知、リーマンショックです。

金融業界と密接に関係のある、マンションデベロッパーは当時たくさん潰れました。

流れは下記のような感じです。

⑴会社でいくつもプロジェクトを同時進行しているので、借り入れは何百憶にも及んでいた。(仮に10プロジェクトで500億円とします。)

⑵500億円は、開発予定の土地を担保に入れていますが、経済が傾いたため、

 300億円の資産価値として考えていた土地⇒ 200億円の価値に下落

 700億円の売上予定⇒ 売れるかわからない状況

⑶上記のような状況に追い込まれ、販売がうまく進まないと会社は人件費が払えなくなります。無論、人件費支払いを優先するので、銀行への返済が遅れます。銀行は「それは約束が違うから、3か月後までに全額返済しなさい。」とか言い始めます。「貸しはがし」というやつですね。

人件費が足りないからと言って、銀行は追加融資はしません。時間が経てば建築費の支払い時期も到来します。遂に、マンションデベロッパーは倒産します。

 

実際には、銀行の「貸しはがし」は複雑に物事が交錯しますが、ここでは省きます。以上の景気の波にも耐え、今も生き残っているマンションデベロッパーは、財務的にも、事業構造的にも大きく変革をし、より強い会社へと変わっていくタイミングとなりました。

 

次回は、このリーマンショックがどのようにデベロッパーを変えていったか、ということを中心に書きたいと思います。

不動産業界について【第1稿】

こんにちは。

 

自己紹介にも書いていますが、

⑴自身の情報整理

⑵就活生の情報源

⑶将来的には投資家の情報源

になればと思い、書いていきます。

 

まず、不動産開発といってもいくつか種類があります。

・オフィスなど、「ビル」と呼ばれるもの

・ショッピングモールや飲食店ビルなど、「商業施設」と呼ばれるもの

・一戸建て、マンション・アパートなど「住宅」と呼ばれるもの

大枠はこの3つです。

合わさって、複合的になっているものを「複合施設」と呼んだりします。

僕は上記の中でも住宅中心の不動産開発業者(デベロッパー)に勤務していました。

なので、とりあえず住宅系の話からしていきます。

 

当時の僕の業務は、

・開発用地を探して(空き地や豪邸の相続、畑、工場跡地、会社跡地など)

・建設費を想定して

・販売価格をマーケットから想定して事業を企画する。

・採算が合えば土地を買う。

・土地を買ったら、プロジェクトマネジャーとして事業統括をする。

といったところです。

 

夢と希望を持って仕事をし、

その中で、過去と現在の事業環境や今後のマーケットの展望を学びました。

時代は流れ、住宅系デベロッパー業界は

「一生懸命土地を探して開発して、一生懸命売っているだけではダメな時代」になりました。更に今後もこの流れが強まっていきます。

 

とりあえず、本日は第1稿なので、次回に続くようにここまで。